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2006年10月11日 (水)

鈴鹿サーキット「平家」物語

 「奢れる者も久しからず ただ春の夢の如し」平家物語にもあるように,隆盛を極めたものでも,いつかは消える運命にある。この世に永久というものがないように,F1の世界においても永久は保証されていない。今シーズンを最後に,鈴鹿サーキットでの日本GPが消滅する。模索してきた春開催は,文字通り「春の夢」となってしまった。20年連続開催という長い歴史は,本場ヨーロッパでも数例しかない。モータースポーツ後進国の日本で,これだけ長い期間の開催ができたのは,鈴鹿を愛する熱心なファンや,F1サーカスを温かく迎え入れる地元住民の存在があったからに他ならない。

 1962年オープンの鈴鹿は,40年以上経過してなお,世界屈指のサーキットとして名を馳せている。ドライバーの闘争心をくすぐるチャレンジングなコースレイアウトは幾多の名勝負を生み出し,鈴鹿を「もっとも偉大なドライバーズコース」とたたえる者も多い。そこに詰め掛けるファンは,ドライバーたちを尊敬の念を持って迎え,スタッフと地域住民とのコミュニケーションも活発に行われていた。ヨーロッパから遠く離れた異国の地でのグランプリは,ドライバーやスタッフの一体感を高める。毎年シーズン終盤戦に組み込まれてきた鈴鹿では,レース後のパーティーも盛大に行われ,ミハエル・シューマッハの「ご乱交」など,話題には事欠かなかった。

 しかし,いくらそこに集う人が熱狂的でも,ハード面の老朽化だけは避けようがない。鈴鹿はオープン以来,コースやスタンドの改修などを何度かのリニューアルはしていたものの,抜本的な改修工事を行うことはなかった。それはF1が開催されるようになってからも同様であり,ついに鈴鹿は時代から完全に取り残されたサーキットとなってしまった。通常,毎年30万人もの観客を集めるサーキットを,わざわざカレンダーからはずすことなど考えられない。鈴鹿サーキットを所有するホンダとしても,まさか鈴鹿からF1がなくなることなど,考えてもみなかったのだろう。その奢りが,今回の鈴鹿日本GP消滅につながってしまったのだ。

 来シーズンから日本GPは,新生富士スピードウェイに移行する。富士がリニューアルされた際,富士は鈴鹿との隔年開催を提案したという。しかし,鈴鹿は長期契約を楯にこれを突っぱねた。それが今回逆の立場に立ってしまったのだから,皮肉な話である。しかし元を正せば,長年コース内外の抜本的な改修を行わなかった,ホンダに責任があると言われても仕方ない。バーニー・エクレストン氏は,この機会に「古い家屋」になってしまった鈴鹿のリニューアルを求めている。それでも富士が開催契約を結んでいる間は鈴鹿との隔年開催も不可能であり,鈴鹿にF1サウンドが戻ってくるのは,早くとも5年後であろう。「猛き者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ・・・」

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