2006年7月 4日 (火)

中田引退!!

 昨晩中田英寿の公式HP「nakata.net」に,本人からのメールが公開された。事実上の現役引退を知らせるものであった。先月22日,対ブラジル戦に敗れた直後,センターサークルに仰向けになり,交換したブラジルDFのユニフォームで顔を覆い涙を隠したその姿は,今まで人前で見せたことのないものだった。あれから2週間,沈黙を破って発言された言葉が今回の現役引退メッセージだった。

 中田英寿が日本サッカー界に与えた影響は計り知れない。海外でも多くの国々でこの引退報道がなされていることが,「最も有名な日本人選手」である中田の存在を示している。山梨の名門,韮崎高校から95年にベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)に入団した彼はその後めきめき頭角を現し,各世代の日本代表に選出される。98年のフランスW杯後にイタリア・セリエAペルージャに移籍。デビュー戦となる対ユベントス戦でいきなりの2ゴールと,周囲の度肝を抜いた。98-99シーズンに10得点をたたき出した司令塔は,その後名門ASローマに移籍,ついに世界水準のスタープレーヤーの仲間入りを果たし,翌00-01シーズンはリーグ優勝「スクデット」を獲得した。

 しかし,このころから中田のサッカー人生は下降線を辿っていたのかもしれない。出場機会を求めて移籍したパルマでは,プランデッリ監督との確執から不遇の3シーズンを過ごし,レンタル移籍したボローニャで再生したかに思えたのもつかの間,フィオレンティーナではまたも監督と対立。心機一転をねらってイングランド・プレミアリーグのボルトンへと移籍するが,すでにプレミアのパワーとスピードについて行くだけの体力は残っていなかった。その後最後のワールドカップを向かえ,そして引退・・・。

 彼の何が,この下降線を引き起こしてしまったのだろうか。それはひとえに,彼のの「独創性」故の結果であろう。ジーコジャパンでは絶対的な「王様」として君臨した中田も,世界の舞台ではそうはいかない。海外の監督は,自分の戦術に合う選手を優先的に使おうとする。自由なサッカーをしたい中田と,自分の戦術を重視したい欧州の監督・・・。両者が相交わることはなく,「一選手」である中田はベンチを温めることが多くなる。安定感のない状況の中でプレーをせざるを得ないうえに,股関節の故障にも悩まされた中では,十分なプレーができるわけもない。結果,ここ数年中田の市場価値は下降線を辿っていったのである。

 ジーコジャパンでの中田の存在は「王様」であったのだろうが,それは選手全てに浸透していたものではないだろう。現に今回のドイツW杯が進につれ,中田と周囲の溝は深まっていっているようにも見えたし,本人も「nakata.net」でそれを認めている。「言いたいことが,本当に伝わったのだろうか?」日本代表への誇りが,周囲に対する厳しい言動に変わっていったことは周知の事実である。しかし,それを受け入れるだけのキャパシティーが他の選手にはなかったのだろう。ひとつにまとまりきれないチームが勝ち抜けるほどW杯は甘いものではない。予選敗退は状況を考えれば当然の結果だった。

 これから中田はどうするのだろう。この引退にしても,しっかりとした人生設計の一部であろうから決断も早かった。「日本サッカー界の為に貢献を」と周囲は言うだろうが,しばらくはサッカーの表舞台から去り,今までとは全く違う道を進むのではないかと思われる。30歳でF1へ,35歳で現役引退,45歳でチームオーナーになり50歳で引退。有言実行の人生を続けるSAF1鈴木亜久里代表と中田の姿が重なって見えた夜だった。 

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